両親が離婚したのは小6の時
私は父親に引き取られ
父子家庭になりました
しかし、中学生にあがると
父はすぐ再婚する事になり
若い継母を連れてきたんです
毎晩父は継母とパコパコと
夫婦の営みをする中、
私は勉強してしました
私が高校受験勉強を始めた頃、
私は継母に逆レイプのような形で
童貞を奪われ性の玩具にされていました。
そして、私の子か父の子かわからない子供を
継母は出産したんです
私は、逃げるように
東京の大学へ進学しました。
私が東京の大学に進学した理由の一つに、
実母に会う目的がありました。
私の住むアパートよりも
古いアパートに母は住んでいました。
突然訪ねたので、
母はうろたえるように驚いていました。
6年ぶりに会った母は48歳
とても綺麗な淑女な美熟女でした。
近況を話しながら一緒にご飯を食べて、
夜8時頃帰りました。
「勇人、頑張るんだよ」
「時々、来てもいいかな」
夏休み、私は出来のよろしくない
中学生相手の塾講師のバイトをしていたので、
それを理由に故郷へは帰らず、母と過ごしました。
母はスーパーで
レジ打ちをして働いていました。
お盆前、あまり飲んだことの
無いビールを母と飲んで、お母さんとSEX,交尾をしたくなり
実母をレイプでもするように
無理やり押し倒して犯してしまったんです
「勇人、止めなさい、お母さんだよ
アアッ…アハー
酔っ払ってるのかい、勇人ったらンン」
母の股間に滑らせた中指はヌルヌルになり、
母が喘いでいました。
かなりほぐれたので血縁肉棒を肉穴に添えました。
「ダ、ダメよ、それだけはダメ」
抵抗する母を押さえつけて、
挿入しました。
「ダメェ~ ハアアハア」
母の肉穴は暖かく、
とても気持ちが良かったのです。
私は一度離れて、母を素っ裸にしました。
一人で働いて暮らす母は
贅肉など無い色っぽい体をしていました。
もう、すっかり抵抗する気が失せた母は、
私の肉棒を受け入れて快感を味わい禁断の母子相姦
あまり大きいとは言えない乳房を揺らして、
恍惚の表情を浮かべました。
「母さん、出る!」
母のおなかに射精しました。
「勇人、あんた手馴れてるね
誰にこんなこと教わったんだい。まさか」
その後私は、
定期的に母を抱くようになりました。
母の女陰は継母のそれよりも美しく、
父があまり母の相手を
していなかったことを物語っていました。
私は、母をクンニで絶頂アクメにさせ
アヘ顔になっている実母に
肉棒でもアクメに導きました。
1年も過ぎると、母はすっかり性の快楽に酔い痴れ、
息子の肉棒を悦んで
受け入れ恋人同士のように母子相姦をしています
6年ぶりに会った母は48歳
とても綺麗な淑女な美熟女でした。
近況を話しながら一緒にご飯を食べて、
夜8時頃帰りました。
「勇人、頑張るんだよ」
「時々、来てもいいかな」
夏休み、私は出来のよろしくない
中学生相手の塾講師のバイトをしていたので、
それを理由に故郷へは帰らず、母と過ごしました。
母はスーパーで
レジ打ちをして働いていました。
お盆前、あまり飲んだことの
無いビールを母と飲んで、お母さんとSEX,交尾をしたくなり
実母をレイプでもするように
無理やり押し倒して犯してしまったんです
「勇人、止めなさい、お母さんだよ
アアッ…アハー
酔っ払ってるのかい、勇人ったらンン」
母の股間に滑らせた中指はヌルヌルになり、
母が喘いでいました。
かなりほぐれたので血縁肉棒を肉穴に添えました。
「ダ、ダメよ、それだけはダメ」
抵抗する母を押さえつけて、
挿入しました。
「ダメェ~ ハアアハア」
母の肉穴は暖かく、
とても気持ちが良かったのです。
私は一度離れて、母を素っ裸にしました。
一人で働いて暮らす母は
贅肉など無い色っぽい体をしていました。
もう、すっかり抵抗する気が失せた母は、
私の肉棒を受け入れて快感を味わい禁断の母子相姦
あまり大きいとは言えない乳房を揺らして、
恍惚の表情を浮かべました。
「母さん、出る!」
母のおなかに射精しました。
「勇人、あんた手馴れてるね
誰にこんなこと教わったんだい。まさか」
その後私は、
定期的に母を抱くようになりました。
母の女陰は継母のそれよりも美しく、
父があまり母の相手を
していなかったことを物語っていました。
私は、母をクンニで絶頂アクメにさせ
アヘ顔になっている実母に
肉棒でもアクメに導きました。
1年も過ぎると、母はすっかり性の快楽に酔い痴れ、
息子の肉棒を悦んで
受け入れ恋人同士のように母子相姦をしています
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