うちの中学にはアイドルがいる (芸能人との体験談) 36499回

2013/06/18 22:27┃登録者:えっちな名無しさん┃作者:名無しの作者
1:名も無き被検体774号+[]:2013/05/24(金) 20:01:39.01 ID:DPT4Cjiz0うちの中学にはアイドルがいる。クラスのアイドル的な存在ではなく、テレビにも出演している本物のアイドルがいる。歌って踊って演じて笑って、今が旬なのか彼女はとても忙しい。だから滅多に出席しない。来ればたちまち学校は騒がしくなる。これがなにかの恋愛小説だったらきっと席は隣同士だ。なんなら幼馴染だったりするかもしれないし、秘密の関係を持っているかもしれない。
けれど僕と彼女は全くの他人だった。 僕はアイドルに憧れる一人のしがない子供でしかなく、 遠巻きに彼女を眺める一生徒に過ぎなかった。 ただ、それで言うと一つだけ自慢したいことがある。 その人気ぶりからカメラ小僧が盗撮写真を売りさばいていて、 ファンの大半はこっそりと購入している。 僕はその写真を持っていない。 そんなことが唯一の自慢だけど、僕のような奴は他にもいるのだろう。 だから特別ではないと知っているんだけど、 ちょっとだけ誇らしく思いたい。 後はクラスメイトだということだけど、 それは僕の手で勝ち得たことじゃない。 つい優越感は抱いてしまうが。 だから僕と彼女の話は始まらない。 いつまで経っても遠巻きに眺める僕と、 そんな僕を知らないアイドル彼女がいるだけだ。 それは物語ではなく、 仮に表記するならストーカー日記という方が近い。 ○月○日、今日も彼女は可愛かった。 どこどこが可愛かったと補足を付けて、そんなの誰が読むのだろう。 気弱で臆病物で内気で陰気で、 クラスに上手く馴染めない子供。 だけどそんな僕の話でも始まるらしい。 彼女のファンでしかない僕の、 彼女が交わらない物語。 だとすればその話は、 ハッピーエンドを迎えるのだろうか。 耳にしたのは偶然だった。 学校の帰りに塾に行き、 そのまた帰りに本屋に寄り、 夕焼けも越えて夜になった頃。 「そろそろだな」 やけにその声は響いて聞こえた。 本が重たくて立ち止まっていたからか。 「行くだろ?」 声は店と店の間、光のない路地から聞こえる。 僕はそういう不良めいた場所が単純に恐いから、 もちろん近寄らないように帰るつもりだった。 「アイドルの晩餐会」 そんな言葉を聞くまでは。 クラスメイトにアイドルが居るものだから、 つい気になって耳をたてる。 「あんま金持ってねえんだよな」 「でもそうそうないぜ、アイドル食えるチャンスなんてよ」 どういう意味か咄嗟に考える。 アイドルという言葉の意味を、 どうしても芸能人に結びつけてしまう。 食える、と言うのだから食物だと思い込みたかった。 「実物はかなり可愛いらしいぜ」 そんな声が聞こえたものだから打ち砕かれる。 いかに僕が子供とはいえ、 その言葉の繋がりから悪い連想を浮かべるのは仕方ないだろう。 「んー、よし、行こう」 「そう来なくちゃな」 「どうせお前は紹介料目当てだろ?」 「当たり前だ」 本当にここは日本だろうかと疑った。 路地から出てきた二人組の不良の跡をつける。 家に帰らなければいけない時間は過ぎているのに、 どうしても確かめないと気がすまない。 尾行するなんてドラマのようだけど、 到底はしゃぐ気分には遠い。 感づかれたらどんな目に合わされるのかと楽観できず、 遠く距離を離れて歩き続けた。 大通りを直進して小道に入って五分。 二人は古い廃墟ビルの中に消えていった。 ビルを前にして臆病になる。 もしかして誘い込まれてるんじゃないだろうかと。 でも、頭の中で想像が膨らむ。 クラスにアイドルが居るものだから、 そのアイドルのことが好きなものだから、 どうしても嫌な考えが拭われない。 自然と湧いた生唾を飲み込んで、 意を決して前に進んだ。 後にしてみればそこは魔窟で、 僕は地獄に踏み入れたのだ。 階段を登る音が響かないように気をつけて、 ゆっくりと慎重に登っていく。 恐怖と緊張からか吐き気がこみ上げる。 ついでに雑音が脳内で騒ぎ始めて目眩まで起きる。 それでも、それさえも恐怖が飲み込んだ。 ここで見つかれば僕はどうなってしまうんだろう。 吊るし上げられリンチを喰らって殺されてしまうんじゃないだろうか。 そんな恐怖が頭をクリアにした。 足が進む。 段々と騒々しい声が近くなる。 壁に光が反響していて、 遂にそこへ辿り着いた。 扉が閉まっていて中は覗けない。 音を立てないように耳をくっつける。 ひんやりと冷えた扉は、 女性の泣き声が震えていた。 「許して……」 僕は生涯忘れない。 その時の衝撃と、苦しみと、なによりも、 腹の底から煮え滾る悍ましい感情の正体を。 一言で解る、それは彼女だった。 僕が密かに恋心を抱いているアイドルであり、 お茶の間の人気者でもある彼女だった。 「おいおい、なにを許せって?」 さっきとは違う不良の声。 「俺はお前のためにやってんだぞ?」 芝居めいた甘い声色に鳥肌が立つ。 今すぐにでも飛び出してしまおうかと考える。 そう、考える。 「ううっ……」 考えるだけだ。 彼女の泣き声が耳に届いているというのに。 想い人の苦しみが刻まれているのを前にして。 考えるだけで足が動かなかった。 でも、もしかしたら違う人かもしれないから。 直感で彼女だと断定したくせに情けない。 それでいいのかと頭の中で声がする。 僕は立ち上がり、その階層の他の扉を開ける。 中に入り、薄暗い中で窓を開けた。 十三階ということもあって風が強い。 窓枠を越えて外側に。 少しの出っ張りに足をかけ、 壁伝いにそこを目指す。 幸い外側は繋がっていて難なく到着する。 しかし一歩間違えば強風に吹かれて真っ逆さまで、 いつから僕はこんなアグレッシブになったのだろう。 思考が現実逃避で走ってる。 光が漏れないように施された暗幕があるが、 隙間は確かにあってそこから覗く。 あわや悲鳴をあげそうになる。 落ちたら死ぬ、なんて現実よりも、 よっぽど室内は恐かった。 ベッドに縄で括りつけられた彼女は裸だった。 顔もはっきりと見えて、疑いようもなくアイドルだった。 側には体格のいい男が一人と、 僕がつけた不良が二人。 ズボンを脱いで性器を露出して、 泣きじゃくる彼女見せつけている。 一瞬朦朧としてしまい、 自然と体が倒れそうになってしまう。 僕はさっきまで極々普通に生きていた。 学校帰りの塾、本屋、日常的な行動範囲だ。 だけど同じ世界で、同じ街で、 彼女は地獄を体験していた。 ずっと彼女を見ていたのに。 今日も彼女は笑っていたのに。 なにも気づかずに僕はただ、 彼女に見蕩れていただけだった。 「ほら、楽しめよ。でないと終わらねえぞ?」 そこから先に行われた悪魔の晩餐会は、 とてもじゃないけど思い出したくもない。 口内の肉を噛みちぎり耐えて、 それでも耳を塞がずに聞いていると、 どうやら彼女は過去に弱みを握られているらしく、 それをネタに脅されて、 アイドルとなった今も逆らうことができないようだ。 寧ろそれはアイドルになってしまったからなのか。 弱味を公開すれば一般女性以上に知れ渡り、 社会的に抹殺されてしまうことは明白だ。 少なくとも彼女の心は壊れてしまうだろう。 だけど、だからって、この光景が正しいと僕は思わない。 壊されないために必至で耐えて、 泣きながらも終わりを願う。 絶対に間違っている。 だけど彼女は誰にも助けを求められない。 このことを誰かに知られるなんて、 知られたくないからこそ従っているというのに。 悪循環が絶望を描く。 ついでに悪魔が微笑んで、 手を繋いで踊ってる。 捧げられた生贄は、 食われ終わることを望むばかり。 だけど、僕が知ってしまった。 翌日から僕は必死に良い子になった。 元々真面目ではあるつもりだけど、 主に両親の手伝いをした。 手伝いをしては小遣いをせびった。 参考書が欲しいんだ。 欲しいCDがあるんだ。 肩たたきするよ。 お皿洗うの手伝おうか? だからといって時間はかけない方がよかった。 あまり時間をかけるとアイドルは更に多くの傷を生む。 それに紹介料と一人が言っていた。 時間と知る者が比例しているということだろう。 並行して二人のことを調べていく。 一人は紹介する仲介人。 もう一人は元締めの悪魔。 調べるのは拍子抜けするほど簡単だった。 ちょっと後をつければそれで済む。 別に向こうはあのこと以外隠してないのだから。 二ヶ月後、貯金もそれなりに溜まった僕は必要な物を購入した。 それは変哲のない痴漢撃退用スプレーや、 市販で売られているスタンガン等。 ネットで調べて改造して、 非力な僕でもなんとかなるように。 そして最も重みのある塊を手にする。 重量も然ることながらそれ以上に重い鉄の塊。 苦労して手に入れたサバイバルナイフは、 僕の悍ましさを体現するかのように鈍く光る。 決行する時がやってきた。 この日のために必死で準備した。 毎晩のように唸されるほど、 隠した憎しみは育っていた。 鏡に向かって念じる言葉。 必死に言い聞かせて弱さを覆い隠す。 僕は強い、僕は強い、僕は強い、僕は強い。 月明かりは眩いというのに、 その晩は一睡もできなかった。 学校に着いてすぐ、気分が悪いからと保健室に行く。 こうして授業を休むなんて初めての経験だ。 所謂、サボるってことを僕はした。 あの日から僕は一度も彼女を見ることができない。 二度ほど学校に来ていたけれど、 笑顔の裏に潜む悲しみが滲んでいるような気がして、 視線を向けることができなかった。 想像するだけで胸が苦しい。 目が合えば泣いてしまうかもしれない。 「先生、すみません、気分が悪くて」 「ほんと、酷い顔色ね。風邪?」 「どうなんでしょう」 「ベッドが二つ空いてるから、一つ使っていいよ」 「ありがとうございます」 先生は少し用事があるからと保健室を出た。 少しでも寝ておこうとカーテンを開くと、 三つある内の一つは誰かが使っていた。 それがアイドルだと気づくのにさほど時間はかからなかった。 驚き過ぎて息が止まる。 もう二度と見ることはないと思ったのに。 横顔しか見えないけれど、 朝陽に照らされた彼女はやっぱり綺麗だった。 どこか幻想的ですらある光景は、 絵画の世界に触れたようでもあった。 でも、そんな美しさにも不純物が紛れていると考えると、 自然と涙が頬を伝う。 彼女は苦しくても誰にも言わず、 一人で飲み込んで笑っているのだ。 「あ……おはよう、ございます」 最初それが誰の声か解らなかったけれど、 考えてみればここには僕と彼女しかいない。 うすらぼんやりと開いた目が、 確実に僕だけを捉えていた。 「おはよう、ございます」 「すみません、ベッド、使いますか」 彼女は寝ぼけているようで、 他のベッドが空いていることに気づいていない。 「使いますけど空いているんで大丈夫ですよ」 流暢に紡げた自信はない。 「すみません……あまり寝てなくって」 「なんで謝るんですか」 「私は体調が悪いわけじゃないから……」 不思議なやり取りだった。 僕が知る彼女といえば、 テレビの中の遠いアイドルと、 クラス内での明るい彼女と、 絶望を耐える強い女性だ。 だけど今目の前にいるのはどこか悲観的な、 寂しそうな目をした一人の女の子だった。 「仕事、忙しいんですよね、仕方ないですよ」 「知ってるんですか……? って、すみません。佐藤君だったんですか」 寧ろ僕が驚いた。 どうして僕のことを知っているんだろうと。 「そんな不思議そうな顔しないでください。同じクラスの生徒じゃないですか」 「僕、クラスメイトの名前全員は覚えてないですよ」 「それは多分、覚えようとしたことがないだけですよ」 「貴方は覚えようとしたんですか?」 「貴方って、他人行儀ですね……。覚えようとしましたよ。あまり出席できないから」 彼女は続ける。 「ただでさえ出席できていないのに、クラスメイトの名前を把握していないなんて、失礼だと思いません?私はこれでも、皆さんと仲良くしたいんですよ……?」 「出席できてないこと、気にしていたんですね」 「それはもう。学校、好きですから。でもお仕事も好きですし……。両立は難しいから、こうなってしまいますけど」 悔しそうに彼女が俯く。 励ましたいけど、そんな優れた心は僕にない。 眠たそうに彼女が欠伸をして、つられて僕も欠伸が出た。 そんな僕を見て彼女が笑みを零す。 そんな彼女を見て僕も笑う。 この世に神様はいないのかもしれない。 少なくともそいつは傍観者に過ぎない。 彼女の苦しみを取り除かないのだから。 でも、この時ばかりは神様に感謝した。 僕にとっては十二分の奇跡で、 括った覚悟を煽るには出来すぎなくらいだ。 「もう少しだけ眠ります。おやすみなさい」 「おやすみなさい」 そう告げて、心の裏で付け足した。 いい夢見てね、と。 それは両親から続く家の挨拶で、 人の優しさなのだとこの時に知った。 眠りから覚めると昼過ぎだった。 当然彼女はいなくなっていて、 お腹が空いたので弁当を食べる。 最後の授業に顔を出すと、 教師に重役出勤かと揶揄された。 頭を軽く下げながら入ると、 教室に小さな笑いが起こる。 僕がこんな風に注目されることなんて、 今日が初めてなんじゃないか? いつもなら恥ずかしくて俯くだけだ。 だけど今はそんなことがない。 これからもっと恥ずかしいことをするからだろうか。 人として恥ずべきことを行うからだろうか。 要は開き直っただけってやつだ。 でも、今日はいつもよりクラスの空気が心地いい。 知らなかった。 学校って楽しいものだったんだ。 学校が終わってから塾には行かなかった。 行動を起こすにはまだ早い。 せめて夕暮れが沈んで貰わないと動けない。 まず本屋に行って、色々買った余りのお金で本を選んだ。 きっと本を読むことは暫くできなくなってしまうだろうから。 好きな作家は読み飽きてしまっている。 かといって今日という日に挑戦するつもりはない。 だから無難に童話を読むことにした。 題名は『灰色の街』。 目的地のファーストフード店で時間を潰す。 もちろん、灰色の街を読んでいた。 題名の通り、その世界は灰色だった。 色のない世界が舞台の物語だった。 灰色であることが通常の世界。 白と黒だけで描かれた景色。 誰もがそんな世界を当たり前に考えている。 とある街の中心に大きな森林公園があった。 森林公園は施錠されていて、 決して中に入ってはいけないと大人から強く聞かされていた。 けれど良い子ばかりではないので、 学校帰りに探索しようと集まった三人がいた。 主人公はその中の一人だ。 大きな柵を乗り越えて中に入る。 森林公園は街とは別世界の自然の森といえた。 そこに白い影が現れる。 太陽も落ちて光の届かない樹の下で、 少年たちはお化けと思い込み一目散に逃げだした。 だけど主人公だけは腰を抜かして逃げられなかった。 そんな彼に近づく白い影は、 なんのことない、白いワンピースを着た少女だった。 少女は言う。 ここでなにをしているの? 少年は言う。 探検に来たんだ。 ここに来てはいけないはずよ。 どうしていけないのか誰も教えてくれない。 そう、誰も知らないのね。 知らないのにいけないって言うの? いけないことと、知らないことは関係がないでしょう? そうかな。知らないのなら、いいことかもしれない。 じゃあ、知らないけれど教えてはならないことってあるでしょう? そうかな。そうかもしれない。 君は知ってるの? なにがいけないのか。 うん、知ってるよ。 じゃあ教えてよ、なにがいけないの? 知りたいなら付いてきて。 二人は森の奥へと歩いていく。 ずっと昔、貴方のおじいさんのおじいさんのおじいさんの頃。人間はこれを隠したの。覗いてみて。 これ、うわ、なに? とても、綺麗だ。 これは、色。色って言うもの。貴方達が隠したもの。 どうしてこんなに綺麗なものを隠したの? さあ、どうしてでしょうね。 こんなに綺麗なのになにがいけないんだろう。 それは私にもわからない。けれど、いけなかったんだろうね。 もしかしたらさ、独り占めしたかったのかも。 色を? うん、色を。こんなに綺麗なんだもん。 そうね、言われてみれば宝箱みたい。 君はずっとこれを見ていたの? ずっとこれを見張っていたの。それが私の役目だから。 じゃあ、君はずっとここにいるの? この公園に? そう、それが役目だから。 そんなの、酷いよ。一緒に外に出よう? 駄目よ、これを見張らなくちゃ。 じゃあ、これを見張らなくてもいいようにしよう。 でもどうやって? それは……。 「うん、いいね、童話っぽくて好きだな」 まだ途中だけど灰色の街を閉じる。 そろそろ夜が近づいてきた。 動き始めるにはいい頃合だろう。 目的のゲームセンターは目の前だ。 ここに仲介人の不良はいつもいる。 この日も特になにをするわけでもなく、 ベンチに座り込んで携帯を弄っている。 ここには友達と来ているらしく、 そいつはゲームに興じている。 だから一人になる時を見計らうのは簡単だった。 壁に隠れて胸に手を置く。 大きく息を吸い込んで、吐く。 もう後戻りはできない。 ……よし。 「あの」 「あ?」 怪訝な顔つきで僕を睨む。 眼光が鋭く怯んでしまうが、 今日のために何度も頭の中でシミュレートしてきた。 「実は、貴方のことが好きだっていう女の子がいて」 「お、おお? まじかよ」 「はい。同じクラスの子なんです。声をかけたくても勇気がでないと言っていたので、僕が一肌脱ぐことにしたんです」 二ヶ月間、不良のたまり場を探っていただけじゃない。 遠くから眺めて、近くで聞き耳をたてて、 どれだけ仲介人が単純かなんて把握している。 「そいつ、可愛いんだろうな」 「とびっきり。あ、写メ見ます?」 「準備いいじゃねえか。どれどれ……うおっ、いい女じゃねえかよ」 その写メはネットで落としたインディーズアイドルの物だ。 よく見れば学生服はうちの制服じゃないけど、 やっぱりというか不良は気づかなかった。 「それでですね、会って話をして欲しいんですけど」 「いいぜいいぜ。どこだ?」 「すぐ近くに廃ビルがあるんですけど、知ってます?」 「この辺ビルだらけだからわかんねえよ」 「じゃあ案内しますよ」 仲介人は友達に事情を説明して、 実に簡単に釣れてしまった。 できることならあの廃ビルで事に及びたかったけど、 流石にそれは勘ぐられてしまうだろう。 まともに立ち会ったら僕に勝目なんてない。 「お前いい奴だな、そうだ、ジュース奢ってやるよ」 思わず紹介で稼いだ金で? と口を突きそうになった。 この不良を前にして平常心を保つことが難しい。 結局、コーラを買ってもらったけど口に付けず、 歩いて五分の近い廃ビルに誘導する。 事前に鍵を壊しておいた七階の扉を開ける。 「ここです、お先にどうぞ」 「どこだ、かわいこちゃん。っていねえじゃねえか」 「そうですね」 既に鞄から取り出しておいた改造スタンガンを浴びせる。 ぎゃっと悲鳴をあげた仲介人が奇妙に倒れた。 「お、おめ、ないすんが」 痺れて舌が回らないのだろうか。 けれど動く舌があるなんて贅沢だ。 スタンガンを舌に付ける。 「やっ、やえでぐれえっ!」 「黙れ」 改造スタンガンの威力は充分だったようで、 萎縮した不良は泣きだした。 「泣いてるのか? お前が? ふざけるな」 思いの丈を込めて空いた手で殴りつける。 あまり痛がってないようだった。 こっちの手の方が痛い気がする。 馴れないことはやめとこう。 そう思って、僕は仲介人の目の淵に人差し指を突き入れた。 別にこれも初めての体験だけど、これなら間違いなく痛いはず。 「た、たす、けて」 「彼女は助けてと言ってなかった? 泣きながら許してと言ってなかった?それでお前は許したのか。許さなかったんだろう?」 勢いよく眼球をほじくりだす。 がらんどうの室内に形容し難い悲鳴が響く。 「わかるか? お前は今、彼女のことで責められてるんだ。彼女って、言わなくても解るよな?それとも、解らないくらいに数が多いか?」 「あ……あい、どる、の?」 「そうだ。だからちゃんと謝るんだぞ、わかったな」 「わかり、ました。ごめんな、さい」 それでようやく僕の気は済んだ。 仲介人に対しての憎しみがうっすらと晴れていく。 だけど首謀者の方はこう簡単に行きそうがない。 奴は不良のリーダーでもあるらしく、 一人になる時が極めて少ないのだ。 一人になっても仲介人ほど簡単にやられてくれるかどうか。 それでも僕はやると決めている。 「謝ったか?」 「は、い?」 「心の中で彼女に心底謝ったかって聞いてるんだ」 「はい! 謝り、ましたあっ」 「そっか」 それを聞いて僕は安心し、スタンガンを鞄の中に仕舞い、 胸に巻いたホルダーから殺意の塊を取りだした。 「なっ、ひいっ」 「困るんだ。あの事に深く関わった奴が生きてるのは」 「ゆる、許して! 助けてっ!」 両手で柄を握り締めて、 倒れた仲介人の背中に刃を突き刺す。 断末魔が轟いても無関係に、 抜いて刺してを幾度も繰り返した。 何度目で死んでいたのだろう。 少なくとも目の前には死体があった。 息を止めて力を失くした肉の塊がそこにあった。 引き返せないことは解っていた。 後戻りできる道なんて途中で失くなっていた。 それでも僕は胃の中の物を全て吐き出した。 想像を大きく越えて呆気なく訪れた。 人生は終わりを迎えたのだ。 死体の残る室内にはボストンバックがある。 段取りをしていたので着替えなどもそこにあった。 返り血がべっとり付いてこれでは外を歩けない。 ジャージに着替えた僕は外に出て、自販機で水を買って飲み干した。 喉が焼けてひりひりと痛む。 ついでに足が今にも崩れ落ちてしまいそうだ。 仲介人の携帯を使って首謀者にメールを出しておいた。 『アイドルの件でヤバイことになってます! いつものビルで待ってるんで、至急来てください!』 文面はその前のメールを参考に書いた。 アイドルの件、と銘打てばきっと来るだろうと踏んでいる。 不味いのは来なかった場合だ。 その時は意地でもこちらから出向かなければならない。 寝首をかこうにも奴はいつも仲間と群れている。 といっても、一人で来る保証なんてないんだけど。 あの日以降も晩餐会はあのビルで行われた。 僕はそれをこの日のために見逃すしかなかった。 それもこれも今日のため。 全てを今日、終わらせるためだ。 先にビルへ入って十三階の別の部屋で待ち構える。 入ってきたら解るように、一日で仕掛けた罠がある。 それをすれば警戒されてしまうだろうけど、 どの道警戒されるだろうから問題は別のことだ。 「がっ」 派手に床を打つ音が聞こえて笑いを零す。 足元に張ったピアノ線で上手く引っかかってくれたらしい。 逆上して駆け上がり曲がった所、 首の辺りに設置したピアノ線には……どうやら引っかからなかったらしい。 予想よりも冷静な悪魔だということだ。 でも、目的はそれだけじゃない。 首謀者は相当お怒りなのだろう、 扉を蹴り破っていつもの一室に踏み入れた。 「どこだ! 出てこい!」 早く踏み込んで八つ裂きにしたいけど、 もう五分だけ待ってからにしよう。 隣で首謀者は壁を蹴り置きっぱなしのベッドを蹴りご乱心だ。 化物に勝つ準備を念入りにして、 五分が過ぎるのを静かに待つ。 「ぎゃっ」 先ほどよりも一層派手に転げ落ちた音を耳にする。 やっぱり一人じゃなかったらしい。 念のため向こうも時間をずらしたのだろう。 そのタイミングを逃さずに首謀者のいる部屋に突撃する。 僕を見た不良は眉間に皺を寄せて、 比喩ではなく悪鬼の形相で構えていた。 「てめえみてえなガキが俺を馬鹿にしてんのか」 想像以上の迫力に込みしそうになったけど、 妙な高揚感が地に足を着けた。 その正体は既に人一人殺したという真実だろうか。 「馬鹿にはしてない。想像以上に厄介で困ってる」 「ふざけるなよガキぃ」 「ふざけてない、こっちだって本気だ」 ベッドから腰を上げて早々に突っ込んできた不良を前に、 ズボンのポケットに忍ばせていた痴漢撃退用スプレー二本を取り出し噴射する。 不良は鋭く腕を前にしてそれでも叫びながら走ってくる。 なるべく後ずさりながら少しでも多くのスプレーを浴びせた。 しかし不良の怒りは凄まじくそのまま僕に激突する。 産まれて初めて吹っ飛んで強く壁に叩きつけられた。 「こんなガキの玩っがはっごはっ」 痛みで視界がぶれていた。 それでも思惑通りに進んだことに感謝する。 痴漢撃退用スプレーは視力に影響があるだけと思われがちだが、 実際には吸い込むと器官にそれなりのダメージを与える。 他に強烈な刺激臭であったり、色付きの物だったり。 犯罪者を撃退する物なのだから侮れない。 「がっひゅぅっがはっ」 このチャンスを見逃すわけにはいかなかった。 まともに対峙して勝てるわけがないのだ。 ぐらつく足に気合を入れて、 ホルダーからサバイバルナイフを出して突貫する。 「ごはっぐっ」 油断はしていなかったけど、いけると思った。 だけど僕は不良のリーダーという存在を舐めていた。 暴力の世界で一番ということをどこかで馬鹿にしていたのかもしれない。 ナイフを胸に刺すつもりだったのに、 不良は体を回して腕で受け止める。 慌てて引き抜こうとするも、 引き抜く前に刺された腕で裏拳を顔面に打たれた。 「調子に、乗んじゃねえぞ、クソガキ!」 怒りが頂点に達したのか悪鬼は獰猛に迫ってくる。 立ち上がれていない僕に蹴りが飛んできて、 咄嗟に腕で庇うも無意味にまたも吹っ飛んだ。 人間ってこんなに簡単に吹き飛ぶのかと、 思考が上手く纏まらないのはどうしてだろう。 「ぶっ殺す!」 倒れた僕の胸ぐらを掴んで不良は軽く持ち上げる。 そのまま両手で首を絞めて、 壁に喉ごと押し込まれた。 「ひっさびさにキレたぜ野郎ぉ」 線の切れた人間の表情というのは、 それはそれで絵画のようだった。 きっとこいつはこいつで果てしなく鬼なのだ。 鬼に逆らった僕が馬鹿だった。 腕を振りほどきたくても力は雲泥の差だ。 苦しさと同時に首が折れそうに軋んでいる。 段々と意識が薄らいできて、 自分の行いを後悔し始める。 どうしてこんな大それたことをしているんだろう。 僕はただの気弱で臆病な陰気野郎なのに。 クラスの端っこでアイドルを眺めるだけで充分な、 将来何者にもなれないであろう人間なのに。 今だってそうだ。 僕はなんになりたいんだ。 ヒーローに成りたいのか? 成ったとしてどうする。 だって、僕の行いを彼女は知らないんだぞ? 僕はただの犯罪者だ。 人を殺した殺人犯だ。 どうしてこんなことをしているんだろう。 自分勝手な正義に酔っていたのか? 違うだろう? そんな正義とか、綺麗な物はあの時なかっただろう? 憧れのアイドルを汚されるのを前に、 弱虫な僕はただ泣いていただけじゃないか。 僕はあの時、ただ、ただ、憎かったんだ。 憎しみがふつふつと沸き上がったんだ。 そして、今日を迎えたんだ。 そして、こんなことになってしまった。 そういえば。 そういえば、今日はとてもいい日だったな。 人生が終わってしまう日だというのに、 こんなにも素晴らしい日はなかったな。 素敵な本にも巡り会えた。 初めて学校が楽しいとも思えた。 そして、彼女と、初めて話をすることができた。 彼女が、笑っていた。 あの時、彼女も笑っていた。 僕が、遅れて教室に、入った時。 彼女も笑って、いたんだ。 その、その笑顔の裏に、 お前みたいな鬼が潜んでいるのが、 僕は、許せないから、だから。 「が、ああっ」 力の入らない腕で上着のポケットから取りだした物を、 あらん限りの憎しみを糧に鬼の喉元に沿える。 「し、ね」 改造されたスタンガンのメモリを最大にして、 スイッチを入れた電気の炎は火花を散らして唸る。 「があ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああっ」 鬼の命が燃えていく。 ようやく開放されて自然に咳き込んだ。 天国がちらついていた気がする。行けるわけがないのに。 少し呼吸が楽になったので、 床に倒れて痙攣している不良に再度電流を浴びせた。 ピタゴラスイッチのようなものか鳴き叫ぶ。 十秒も経たない内に電流が途絶えた。 改造スタンガンの最高値だからもう壊れたのか。 「お……おおごお……」 「まだ生きてるのか」 化物だ。体の芯から心の奥まで化物だ。 腕に刺さりっぱなしのナイフを抜いて、 柄を握り締めて振り被る。 「どうして殺されるか解っているな」 仲介人と違ってこいつは助けを乞わない。 許してとも言わなければ泣きもしない。 それがどうにも腹立たしい。 「解ってはいるよな、馬鹿でも。だから僕はお前を許さない。だからお前は僕みたいな奴に殺される。恥だろ? 僕みたいに弱い人間に殺されることが」 不良は答えない。 答えられないのか、答えないのか。 「いいか、彼女に謝るんだ。ごめんなさいと這いつくばって、許してくださいと泣き叫べ」 それでも不良は答えない。 口は閉ざしたまま、目は見開いたまま。 「くそ……くそっ」 時間をかけるわけにはいかなかった。 下手をすればこの化物はまた動き出してしまう。 だから、僕は、目的を達成できないまま、殺意を鬼にぶちまけた。 顔面を幾度も貫かれて、 それでも鬼は僕を睨み続けていた。 息絶え絶えだけど、あと少しでこれも終わる。 そう思うと不思議と力が湧いてきて、 でも、なぜだか途中で抜けていく。 きっと鬼の呪いだと思った。 僕は結局奴を屈服させられなかった。 最後まで彼女に謝らせることができなかった。 そんなもの彼女には届かないのだから、 僕の自己満足でしかないのだけど。 それでも、果たしたかった。 「くそ……」 悔し泣きというのを初めてした。 今にして思えば、僕は初めて本気でなにかに立ち向かった。 喧嘩もしたことなかったし、 勉強でも競争心が沸かなかった。 人殺しでそれを学ぶなんて皮肉だけど、 僕は初めて本気で生きたと言えるのかもしれない。 男の携帯はポケットに入っていて、 スタンガンを長時間浴び続けたせいか壊れていた。 仕方なく僕の携帯で電話をする。 「もしもし」 その相手に、 例のことを知ってるぞ。 外に出て近くの公園に来い。 そうとだけ告げて電話を切る。 夜の公園は風が心地よくて清々しかった。 あと少しでセミが合唱を始めるのだろうか。 それを僕はどこで聞くのだろう。 聞けるのだろうか。 不思議と感傷に浸ってしまっている。 もう終わりが近い。 「電話したの、君?」 相手は電灯に照らされていて確認できた。 反対に僕は木の影に隠れている。 きっと彼女は僕の望みを叶えてくれるだろう。 「そう、僕だ」 「例のことって、なに?」 「例のことといえば例のことだ」 「それじゃあわからない」 「またまた。わかってるくせに」 「本当にわからないの」 「わからないなら無視すればいいだろ?」 「それは……」 相手は口ごもる。 女性を虐める趣味はないけど、 今回ばかりはどうしようもない。 「あの、こと?」 「ほら、わかってる」 「でもどうして君があのことを」 「色々あって……僕の言うことを聞いてもらう」 「脅す気?」 「そうだ」 「……最低」 「貴方に言われたくないな、委員長」 「私が委員長なの、知ってるのね」 「そりゃクラスメイトだから」 「そう、クラスメイトなの。知らなかった」 「それが普通だよ」 「それで、なにをすればいいの?」 「簡単なことだ。謝ってほしい」 「なにを?」 「しらばっくれる気? 彼女を貶めたことをだ」 「なっ……なんの、ことかしらね」 「僕も意外だった。あの鬼みたいな不良。あいつと親しく喋る委員長を見た時は」 「誰のこと?」 「……まあいいけど。ずっと昔から恨んでたみたいだね、彼女のこと」 「だったら、なに?」 「今度は開き直り? 図々しい」 「聞けば彼女と委員長は幼馴染らしいね。昔は共にアイドルを目指した仲だとか。でも、世の中そう上手くはいかない。アイドルになれたのは彼女だけだった。その頃からか知らないけど、君は彼女を憎んだ。表面上では仲良くしておいて、裏では不良に弱味を作らせた。自分の体と金を使って。そこまでして彼女を貶めたいなんて狂気の沙汰だ。でも、そこまでしてしまうっていうの、今なら解る」 「見てきたように言うのね」 「聞いた話を繋げたらこんな所だろ?」 「そう、そうね……そのとおり。ふふっ、ざまあないわ。あの女、一人だけ持て囃されて。いい気味なのよ。夢も、男も、なにもかもあいつは一人占めして。どうして私だけが不幸にならなくちゃいけないの?おかしいでしょ、そんなの。だから、これは正常な防衛なのよ!」 「凄い理屈。自分を正当化するために必死だ。そんなの、正常な防衛な訳が無い。防衛だとしても過剰が過ぎる。それにさ……これは言い切れるけど、絶対に彼女は一人占めしていない。そんな性格の人だとは到底思えない。本当にそうだったのか?」 僕の問いかけに委員長は黙り込んだ。 沈黙は答えなりというが、 この場合も当て嵌めていいのだろう。 「彼女は真っ直ぐ委員長のことが好きだと思う。だって彼女は言っていた。学校が好きなんだって。仕事も大好きでこんなことになってるけど、学校が好きだって。その学校で仲が良いのは、僕が知ってる限り委員長だけだ」 「でも、だって……それじゃあっ」 「それじゃあ、私がしたことはなんだったのかって?さあ、なんだろう。間違えたんだろうけど、僕にはわからない。とにかく委員長。僕の言うことを聞いてもらう」 「どうすれば……いいの?」 仰げば月がすっぽりと雲に隠れていた。 それが天啓なのかどうか、やっぱり僕にはわからない。 困った時の神頼みは通じない。 「彼女に二度とこんなことをしないでほしい。彼女にしたことを忘れないでほしい。彼女の想いに答えてほしい。彼女とずっと仲良しでいてほしい。だって、彼女はテレビの中で笑ってる時より、歌を歌って踊ってる時より、委員長と話してる時が一番素敵に笑ってるんだから」 僕の想いの寸分の一でも伝わったのか、 委員長は声をあげて泣き崩れた。 背後に隠したサバイバルナイフは、 姿を見せることなく鈍く光っているのだろう。 「あとそうだ、言い忘れた。脅しってのも嘘じゃないし、もう一つ。僕と今日話したことは内緒にしてくれ」 委員長は不思議そうに首を傾けるが、 木の影から出て光を浴びた僕を見て、 怯えたように首を振った。 いや、怯えていたのだろう。 僕の服はまた血まみれだ。 でも替えがなくてそのままだ。 ビルからここまで捕まらなくてよかった。 本当に、よかった。 その日、僕の人生は終わった。 人を二人も殺した重罪人として、 にへらにへらと笑いながら、 警察署に出頭したからだ。 そういえば、灰色の街をどこかで落としてしまった。 まだ全部読んでなかったんだけど。 「君はどうして人を殺してはいけないか知っているかい?」 白衣を着た男が僕に問う。 どうやらこれはカウンセリングの一部らしい。 警察に出頭して事は思うように運べた。 警察官に問われたことを答え、 その度に価値観の相違を訴えた。 あくまで精神の異常を見られないようにして。 そんなことをしてしまっては罪を償えないから。 償ったとしても、償いきれないだろうけど。 例え殺されたのがゴミだろうとクズだろうと、人は人だ。 結局、精神鑑定の必要有りと見られ今に至るらしい。 僕はここで精神に異常がないことを示さなければならない。 「法律とか、道徳とか、ですか?」 「うん、そういうことだね。でも君は人を殺してしまった。聞かせてもらってもいいかな?」 「だって先生、人を殺したら人が死ぬなんて、誰が決めたんですか?」 「殺したら死ぬのは生物の宿命だよ?」 「でも、人間が生物だなんて、殺してみないとわかりませんよ」 「ふむ、そうか……」 その後もいくつかの質問を受けた。 その度に医者はカルテにメモをしていく。 やけに作業的だと感じた。 そもそも、人を殺した時点で一定の異常者なのに、 どうして異常かどうかを判断する必要があるのだろう。 異常なら正しくて、 正常なら間違ってて、 それって本末転倒のような気がする。 結果的に僕の思う通りに進んでよかった。 それはひとえに勉強の甲斐あってのことだ。 ここ二ヶ月、ネットで殺人鬼に関する情報を調べまわった。 結局、僕は精神に異常はなしと判断された。 ただし常識的な概念が不足していると。 それを補うために今回の犯行に及んだのは、 極めて正常な思考能力だと。 これでいい。 それでいい。 判決を受けた僕は外に出るや否や沢山のマスコミに囲まれていた。 目も眩むフラッシュに暴風のような質問。 中には野次も混じっていて、死ねだなんだと口うるさい。 僕が今回のことで謝らなければならないのは、 両親に対して他ならない。 多分、引越しせざるを得ないはずだ。 というか離婚してしまうかもしれない。 その後も生きづらいと思う。 謝っても許されないことだ。 世の中には、そういうことだってある。 だから僕は後悔していない。 手錠をされた僕は警察官に引っ張られて進む。 頭に深くかけられたコートは未成年のうんたら、だっけ。 ここまで注目を浴びるとは予想外だったけど、 なにがそこまでセンセーショナルなのだろう。 「どうして二人も殺したんですか!? 死体は酷い有様だと聞いてますよ!」 記者の声が一つ聞こえた。 どうして? どうしてって、それはもちろん。 「殺したら!死ぬのか!知りたかったんだ!」 当たり前だけど、僕はすぐに取り押さえられた。 ■五年後 「お世話になりました」 深く頭を下げて感謝を言う。 この五年、想像以上の過酷さに自殺すら考えた。 だけど、なんだかんだで生きている。 生きてしまって、いるんだろうか。 監獄の外は吹雪いていた。 当然、出迎える人なんて一人もいない。 この先どうやって生きていこうか。 頼りにしてみるといいと言われた人を訪ねてみるか。 真冬の寒さで耳も切れる。 五年ぶりの外は、真っ白な世界だった。 「あの」 声がしたので辺りを見回す。 どうやら俺しかいないらしい。 こんな辺鄙なところで迷子だろうか。 振り返って、一目で誰だかわかってしまった。 「佐藤さん、ですよね」 「違います」 「でも、今日出所されるって、聞きました」 誰に聞いたのか、教えた人を問い詰めたい。 どうして彼女がこんなところにいるのだろう。 ろくな考えが浮かばない。 「……どなたですか?」 「私です。中学の頃、同じクラスで、芸能活動していた」 伏し目がちな表情にぐっとくる。 覚えてないわけがなかった。 名前も忘れたことがない。 忘れられるわけがない。 「さあ、覚えてないですね」 「そう……ですか」 でも、それを知られては意味がない。 なんのためにサイコパスを演じたことか。 「でも、言いたいことがあるんです」 「はあ」 「ありがとうございました」 それほど胸に突き刺さる言葉はなかった。 なんらかの方法で知ってしまっているのか。 或いは、想像して行き当たってしまったのか。 考えてみれば単純なのだ。 一般的には理由もなく殺された二人。 けれど、彼女にしてみれば二人は見知った人物だ。 その二人が一日で殺された。 しかも一人はあの廃ビルで。 なんて馬鹿なことを。 今にして考えればあの廃ビルを使えば、 知られてしまうようなものじゃないか。 それでも。 「なんのことです?」 「……わからないなら、いいです」 「佐藤さんに渡したいものがあるんです」 さっさとこの場を離れてしまいたい。 すぐにでも逃げだしてしまいたい。 だけどそうもいかないだろう。 「まず、これ」 「これは……写真? 仲が良さそうですね」 「はい。友達に頼まれました。会うなら渡してきてほしいと」 そこには仲良く肩を並べ合い、 ピースを作る二人の女性がいた。 もちろん、聞かなくてもわかる。 「あと、これ」 「……これは」 「友達に貰ったんです。佐藤さんが持っていたものだって」 それはどこかで失くしていたと思っていた『灰色の街』だった。 ということはあの日、公園に置いてきてしまったのだろう。 それにしてもなんでこれを彼女に……。 「友達は言ってました。彼は悪くない、って」 そういえば、確かにそんな約束はしていない。 だけど気持ちを汲むとかそういうことをしてくれても……、 いや、当時は中学生だったのか。 そんな考えには至らないかもしれない。 「佐藤さん、この本の結末がどうなるか知っていますか?」 「はい」 獄中で読んだ。 少女のために少年は色を世界にぶちまけた。 そこは童話らしく、ペンキをぶちまけるように。 たちまち世界は色づいて、少女は晴れて自由の身となった。 しかし少年は禁忌を破ったとして捕まってしまう。 少年は、こんなに綺麗な世界なのになにがいけないんだと怒鳴りつけた。 大人たちはそれに答えられなかった。 いけないことの理由を知らないからだ。 少年には極刑が与えられるが、少女の手によって脱走する。 そして二人は色の煌く世界で虹の架け橋を渡り、 二人だけの居場所を求めてに出る。 「なんとも言えないラストでしたね」 「そうですか? 私は好きですよ。二人が手を取り合って、世間の目を知りながら、生きていこうと決意して」 それがどういう意味なのかと勘ぐってしまう。 だからこそ必然的に沈黙が流れた。 本の言葉を借りるなら、俺の世界はもう灰色なのだ。 「それより、過去の人達がどうして色を封じたのか。佐藤さんはわかりました?」 それこそがこの本の問いかけだ。 なぜ、綺麗であるはずの色を封じなければならなかったのか。 「綺麗な物があるのなら、汚い物もあるからでしょう」 彩れば世界は綺麗になる。 しかし代わりに浮き出るのは汚い物だ。 光が差せば影があるように。 世界は綺麗事ばかりじゃない。 彼らはそれらを封じ込めた。 綺麗な物よりも、汚い物を目にしたくないから。 「それなら、正しかったのはどちらでしょうか」 そして、これが『灰色の街』の命題といえた。 「正しい、というのは相対的なものですから。どちらが正しいかといのなら、どちらも正しいんじゃないですか?」 「煙に巻かないでください」 意思の強い瞳が俺を捉える。 そういえば彼女は強い女性だった。 「そうですね……」 どちらが正しい。 それは確かに相対的だ。 決してさっきの答えは間違いじゃない。 だけど彼女はそんなことを聞いていない。 俺という一個人にどちらが正しいのかと聞いている。 正しさは相対的でも俺は個人だ。 だから、俺はどちらかの正しさを持ち合わせている。 「きっと、正しかったのは……」 ちらりと見やると彼女は震えていた。 これだけ寒いのだ、息も凍える。 それでも真剣に耳を傾けている。 それでも俺は真剣には答えない。 答えてしまえばボロがでる。 張り詰めた線が切れてしまう。 これは交わらない物語。 俺と彼女が交わってはならない物語。 ふと俺と彼女に糸が繋がって見えた。 言うまでもない、灰色の糸だ。 手繰り寄せれば近づくかもしれない。 距離が永遠に失くなるかもしれない。 「大人達ですよ。パンドラの箱と同じ原理。そこに詰まっているのは希望だけじゃなく、問題なのはリスクの大きさなんですから」 それでも俺は、僕は、糸を優しく切り裂いた。 鬼を殺した呪いのナイフで。 俺の答えに満足したのか、彼女は返事をしない。 俯いた瞳になにが写っているのだろう。 降り積もる雪になにを見出しているのだろう。 長い時のようで短かった、 曖昧で公平な時間が過ぎて、 顔を上げた彼女は満面の笑みだった。 頬が濡れているのは、きっと雪のせい。 「頑張って、芸能活動を続けます」 声がしわがれているのは、きっと寒さのせい。 「本当に」 視界が滲んでいるのは、きっと……。 「ありがとうございました!」 それは交わらない物語。 僕はアイドルのファンに過ぎなくて、 彼女を眺める一人の人でしかない。 ハッピーエンドには程遠いけど。 そんな僕にも物語があって。 僕の世界は灰色で。 きっと彼女の世界は虹色で。 彼女の虹になれたのなら、 まあいいんじゃないかなと。 彼女のファンである僕の、 それが唯一の自慢だ。 どんっと人にぶつかったから、 大丈夫ですか? と声をかけた。 その女性は雪に溶け込む髪をしていて、 鬼の形相で僕を睨んでいた。 体の自由が効かなくなって不意に前へ倒れこむ。 腹部の呪いが一層増して痛みの中で憎悪が叫んでいた。 憎しみは黒く蝕んでいて、 流れる血もやはり黒い。 それなのに、 雪に染みたそれはどうにも、どうにも。 「……きれい、だな」 僕が彼女の虹となれたなら、 彼女は僕の虹だったのか。 相対的なものだから。 あれも、これも、どれも、かれも。 そうして世界は閉じていく。 そうして物語は幕を下ろす。 僕の交わらなかった物語に。 真っ赤な幕が下りていく。 出典:うちの中学にはアイドルがいる リンク:http://novelhiroba.com/?p=7279