12才、中学1年のある日、短い運動着の半パンのままで下校中であった。
中学1年の10月、中学校の防災検査とやらで、体育館を使用の部も、教室の文化部いつもより早めに練習も終わり帰宅となった。
大都市郊外の住宅地の新興住宅地に自宅を建てたので、中学はいつも近道をしていた。
直角の周囲が通学路であったが、大回りで、直角の真ん中を貫く狭い道を利用していた。
他にも男子のみ何人かいたが、教師も知っていて何も注意はなかった。
『男の子の性犯罪犠牲』はまさしく福島原発事故と同じく「想定外」であった。
僕も危険と知っていたなら、わざわざ襲われる道を利用はしなかった。
それに中学生という安心感もあった事は事実だ。
あっという間に記憶が薄れた事はしだいに思い出した。
気がつくとさっぱり様子が掴めず、上半身は裸にされて仰向けにされていた。
僕は「何」とかすかに声が出た。
側には20才前後の男がいて「おっと目が覚めたのかな、可愛い坊や」と鋭いナイフを首に当てられた。
「オレは坊やを眠らせて、肩に抱えここまで来たが、さすが中学生は軽くはなかったぜ」とニヤニヤしていた。
急に恐怖に声も出なくなった。
男は「坊や、実は『前々から坊やに目を付けていた』のさ。」「たまには後ろを見ないとこんな目に遭うのさ」とクロロフォルムか薬物をタオルで背後からかかせられた事を知った。
足を見ると靴も靴下も脱がされ紐で縛られていた。
「くそう、一体何を?」まだ、この段階で「性犯罪」は予測していなかった。
なぜなら、上半身の裸段階だった事もあった。
それに「男の子の性犯罪犠牲」は、考えてもなかった。
男は「ここで大声を出しても無駄だ。言う事を聞け」と脅され手は後で縛られた。
おまけに「猿ぐつわ」をされてしまった。
ここで、一旦、足の紐は切った。
万事休す、諦めて言う事に従う以外方法はなかった。
仰向けにされて、男は僕の短い半パンの下に手を持ってきた。
「脱がされる」事はすぐに分かった。
短い運動着とその日は何枚かある中で運悪く白ブリーフだった。
あっという間に下半身も裸にされた。
まさに産まれた時の姿だ。
そして、足を又縛られた。
「恥ずかしい」「怖い」体は小刻みに震え心臓の高鳴りをよく覚えている。
男から、「可愛らしいちんちんだな。まだ、小学生のようだな」と屈辱を浴びせられた。
3月下旬産まれの僕の体が小学生に見えてもおかしくはなかった。
男から地獄の性器猥褻行為は、この後延々と犯された。
ペニス亀頭の皮を軽く剥かれ何と顔を近づけられて、クンクンと臭いを嗅ぐ行為から始まった。
「おい、せっかく可愛らしい顔をしていて、ちんぽの手入れはしてないな。親が教えてくれなかったのか」と屈辱を投げられた。
確かに放尿時でも剥いた事はほとんどなかった。
まして、入浴して内部を洗った覚えもない。
確かに強烈な臭いがある事は知っていた。
これを性犯罪で変質者に臭われる等、考えた事もなかった。
ついにペニス弄りが開始された。
詳細な記憶はないが前後は覚えている。
後は回す、左右、そしてついに勃起してしまった。
男は「お前は起つのが遅い、先週襲った小学6年は触ったらすぐに起った」と洩らしたので、こいつ何人か襲ったなと分かった。
弄り回され、臭いを指で嗅がれ、時々剥かれ、40分も続いただろうか。
男は「一寸休憩だ」と僕の汚れたブリーフを手にした。
「珍しくもないさ。運動部のガキはよく穿いている」と黄色に変色した部分を臭い出した。
そして、テッシュを取り出し「射精」してしまった。
「フ―いい気持ちだよ。可愛らしい坊やの臭いパンツでいい気持ちだ」と又、弄り出された。
睾丸を弄られ「今の白いのはここで造る赤ん坊の種だ。お前も出るか」と尋ねられたので、首を横美振った。
すると男は、僕の勃起したままの性器をピストン、僕は「あっと」思った瞬間に過去経験した事のない快感が性器から、痛を電撃的に走った。
男に気付かれ「おお、坊やもついに体験したな。だが、種が出ないぞ」と言い足の紐は切ってくれ「この運動着と臭いパンツはもらう。坊やを思い出して臭いを嗅ぎ気持ちいい事をする」と去って行った。
僕はその後素っ裸のまま、ちんちんをブラブラして人家に助けを求め助かった。
人家は、同級生の女子の家だった。
母親同級生、弟に見られたが、すぐに性器を隠してくれてに連絡してくれた。
 

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