私はその時歳、は歳でした。父は離婚していませんでした。
塾の帰り、が車で迎えにきてくれました。しかし、一時停止無視した車に接触しました。それに腹立てたのか、チンピラ風の人が弁償しろと言ってきました。は悪くなにのに。 
とにかく警察呼ぼうと、が言うと、チンピラの車からボス見たいな人が降りてきて、
「ここで話しするのもなんだから」と場所変えて話そうと言ってきました。が抵抗するとボスは私を羽交い締めし人質にしました。
私はチンピラの車に乗せられ、は、その後ついて来るよう指示されました。
妙なことしたら、私を殺すと・・。
車内にはもう一人いました。逃げな
いよう後部座席の真ん中に座らせられました。車内で縛られると、私の身体触ってきました。嫌がると平手打ちされました。パンティーを脱がされると、彼らはその臭い嗅いできました。
このままHされると思い、泣き出しました。
マンションの一室にと共に連行されました。チンピラはに殴る蹴るの暴行くわえました。私は拘束され身体押さえられているので「やめて」と叫ぶしかありませんでした。
ビデオセットし、に対し、ストリップを強要しました。抵抗すれば私を犯すと・・。
は、「娘だけは逃がして」といいながらも全裸になりました。
脱ぐの遅いという理由で私もストリップ強要されました。
とにかく怖いので脱ぎました。
全裸になると、再度拘束され、ベランダに連れていかれ鍵かけられました。外からは私の身体見られたと思います。
その間、レイプされてました。
時々いやらしい声や男の罵声聞こえてたので、想像はつきました。
どのくらいたったのか、やっと部屋に入れてもらえました。
「兄弟できるぞ、よかったな」
その言葉は何故か今でも頭からはなれません。
は放心状態で私が部屋にいることもわからない見たいでした。
私は、男たちの物を舐めるよう言われました。
抵抗すれば、の命はないと思い、臭いの我慢しながら拘束されている不自由な身体で舐めました。
のあそこも舐めろと言われたので舐めました。
そのときです。後ろから、ボスが私のあそこに入れてきました。痛みと、処女喪失のショックで号泣しました。
結局何回も犯され、私もいつのまにか記憶なくしてました。
気づけば私はと背中合わせに拘束されてました。
外も明るくなってました。
が帰させてと言いましたが、週間たったら帰すと言ってきました。
その間、私たちの生活は無惨そのものでした。
シャワーは浴びさてもらいましたが、人でした。
しかもお互い泡立たせレズ見たいな感じで。その姿はビデオに録られました。
トイレはつのバケツでさせられました。
毎朝浣腸させられ、排泄も見られました。
食事は、日食コンビニ弁当でましたが、拘束されたまま犬のように食べさせられました。
週間の間、シャワー以外で拘束は解いてもらえず、何人もの男におまでなぶりものにされました。
週間後ようやく解放されました。
帰りに、が私を強く抱きしめ「ごめん」といったのが忘れられません。